自称アート・リポーターこと、よろコンです。
本ブログでは過去に見た展覧会も含め、好きな展覧会をレポートしていきます。
今回は、出身地・板橋からこちら
館蔵品展 狩野派学習帳 今こそ江戸絵画の正統に学ぼう @ 西高島平・板橋区立美術館
のレポートです。
板橋区立美術館は、これまでも狩野派展を開催していますが、今回初めて見ました。板橋区立美術館にこれだけのコレクションがあるとは知りませんでした。都心から少し外れた板橋の中でも、お世辞にもアクセスが良いとは言えない場所の美術館(^^;)。ですが、見る価値十分の展覧会だと思いますので、是非とも紹介したいと思います。
今回も、最後まで、お読みいただけますと幸いです。
【目次】
※ 以下の記述は展覧会の解説、その他WEB上の資料を参照の上、記述しております。なお、今回の会場内は全作品撮影可能でした。
1. 展覧会概要
(1) どんな展覧会か
狩野派。室町時代から江戸時代を通じて活躍した日本史上最大の漢画系絵師集団。
室町幕府の御用絵師・狩野正信(かのうまさのぶ)を始祖とし、中国の漢画とやまと絵を融合した和漢融合様式を完成。永徳(えいとく)の時代は信長・秀吉の庇護の下、金碧障屏画(きんぺきしょうへいが)の全盛期を作ります。江戸時代になると幕府に仕えるため本拠地を江戸に。永徳の孫・探幽(たんゆう)が幕府御用絵師となり、その後、明治の芳崖(ほうがい)、橋本雅邦(がほう)まで続いていきます。本家・分家ともそれぞれが繁栄し、多様な画家を輩出していている江戸の正統(メインストリーム)です。
展覧会パンフレットの説明には、個人の才能による「質画」より模写を重ね伝統を伝える「学画」を重視。強烈な個性より確かな実力による安定した筆づかいに魅力あり、とありますが、屏風絵、掛け軸、絵巻、花鳥画、人物、武者絵に風景と多種多様な作品を通じて確かな実力に裏打ちされた狩野派絵師のそれぞれの個性が感じられる展覧会です。
(2) 開催概要
・期間:2020/7/11(土) - 8/10(月・祝) ※ まもなく終了です。
・時間:9:30 - 17:00 ※ 入館は閉館30分前まで。時間指定制ではありませんが、入館にマスクは必須、手の消毒も。
・会場:板橋区立美術館(西高島平)
※ 歩くなら都営三田線・西高島平から13分とありますが、東武東上線・成増、都営三田線・高島平からも1時間に1・2本バスも出ています。パンフ裏面左下をよく見てると時刻表があります。(ちょっと見にくいですが)
美術館の前に大きくないですが駐車場・リパーク(20分100円、入庫12時間500円、16台)もあります。
・チケット:無料
・作品数:33点
・写真撮影:OKです。
・Webサイト:
(美術館サイト)
www.city.itabashi.tokyo.jp
(美術館・外観)
(入口です)
(3) パンフレット
(表面)
(表は狩野惟信(これのぶ)「菊慈童図」 55.8cm×118.8cm)
(裏面)
(4) 行くきっかけ
NHK・Eテレの日曜美術館・アートシーンの最後で丁寧に紹介されているのを見ました。板橋区立美術館であるということもあり、見に行きました。
2. 展覧会の中へ
(1) 訪問日・混雑状況
訪問日:2020/8/2(日) 晴れですが、訪問時は雲多め(梅雨明け翌日)。15:00過ぎ
鑑賞時間:約80分(写真撮影OKなのと、各作品に絵師・作品の解説があるので、33点ですが、ゆっくり見てきました)
混雑状況:結構、人はいましたが、混んではいません。三密を避けて、ゆっくり見ることができました。
では美術館に入ります。
(2) 展覧会の構成
会場は入って右(前半)、左奥(後半)、左手前(新収蔵品)と3つの展示室があります。まずは右の部屋へと入ってください。年代を追って狩野派絵師の作品が展示されています。
それでは、作品を見て行きましょう。
(3) 気になる作品
板橋区立美術館は展覧会名「狩野派学習帳」もユニークですが、作品や絵師に関する説明も凝っているので、それも踏まえてご紹介。(以下、<< >>の中は板橋区立美術館の付けた絵の説明の見出しです)
・狩野 正信(まさのぶ) 「蓮池蟹図」(97.1×45.4cm)
<<狩野派の始祖・正信の中国画学習>>
狩野派の始祖・正信。中国の虫草画を模した可能性が高いとのこと。元・外務大臣、大蔵大臣を歴任した井上馨旧蔵品。水につかった蓮の葉に一生懸命、蟹がしがみついています。
・狩野 探幽(たんゆう) 「富士山図屏風」(各159.6×356.8cm)
(右隻)
(左隻)
<<伝統とはひと味ちがう>>
富士山図は雪舟周辺の富士山、三保松原、清見寺を組み合わせる構図が有名なところ、この絵の中央のお寺は久能山東照宮とのこと。やはり、ひと味ちがう。
なお、探幽は江戸狩野派の基礎を築き、様式統一などに尽力しました。この富士山の絵も狩野派の手本となったようです。かなり簡素にデザイン化された富士山です。
・狩野 尚信(なおのぶ) 「富士見西行・大原行幸図屏風」(各155.8×363.4cm)
(右隻)
(左隻)
<<探幽兄さんよりも大胆に!>>
右隻に富士山を眺める西行法師、左隻に後白河法皇が京都・大原は寂光院の建礼門院を訪れる場面が描かれています。尚信は兄・探幽の余白を活かした画風をさらに推し進め、軽妙な人物表現をしています。右隻ではお兄さんと同じように描かれた富士山を左下で肩を出した西行法師が見上げています。かなり大胆な構図に軽妙さが加わります。
西行法師に目線を合わせて見ると・・・
遥か彼方に聳える富士は雄大なり。
・英 一蝶(はなぶさ いっちょう) 「茶挽坊主悪戯図」(30.5×52.0cm)
<<ドッキリ!気付くかな?>>
本家からはなれますが、この人も狩野派。
以前、東京都美術館のボストン美術館展で大きな「涅槃図」を見て、その画力に感嘆しました。先日、大倉集古館でも布袋様の絵がかわいらしく、生き生きと描かれていました。一時は島流しにもなった謎の絵師。この絵は二人の人物が坊主の頭に布を垂らしてからかっている様子。画面上部の霞や頭に手をやる坊主の姿などから古典絵巻を参照した絵とのことです。
さて、今度は探幽が描いた本当の狩野派学習帳
探幽筆「倣古名画巻模本」
から、「雪舟」の絵
そして自分の富士山。
これは絵巻でしたが、こういう手本を見て、模写をして学習したんですね。
さて、部屋を移りまして入口左側奥の展示室へ。
(会場の様子)
続いては狩野派改革を目指した、こちらの方
・狩野 典信(みちのぶ) 「大黒図」(96.0×197.0cm)
<<力強い筆の勢いで改革、はじめ!>>
畳一畳を越える絵絹に描かれた、どっしりとした大黒様。力強い線、勢いのある筆さばきが江戸狩野派を改革しようという意気込みの表れとか。かなり迫力あります。
木挽町(今の東銀座・歌舞伎座あたり)にあった田沼意次邸一角に屋敷を拝領したので「木挽町狩野家」と呼ばれ、その後、一派は隆盛していきます。
でも、その息子は・・・
・狩野 惟信(これのぶ) 「四季花鳥図屏風」(各167.3×353.2cm)
(右隻)
(左隻)
<<安定の御用絵師、安心の花鳥図>>
桜、紅葉、数々の鳥に花。色鮮やかで、とても好きな絵です。
作者・惟信は先ほどの典信の長男。父が目指した力強い筆さばきは受け継がれず、美しくも繊細な画風。どちらかというと、こちらの方が好きですが・・・
ただ、木挽町狩野家の地位を引き上げるのに、貢献したとのこと。父の思いは通じたか。
そして、今回、いちばん注目していた作品
・逸見 一信(へんみ かずのぶ) 「源平合戦図屏風」(166.6×348.0cm)
(右隻)
(左隻)
<<源氏vs平家 男たちの真っ向勝負>>
増上寺・五百羅漢図を描いた逸見一信も狩野派。「狩野一信」と書かれる場合もありますが、狩野姓は名乗ったことがないとか。
それはさておき、圧巻の合戦図です。平家物語の世界を六曲一双の屏風にまとめ上げています。右隻画面中央の武者は平敦盛、敦盛最期の場面。
左隻中央は有名な那須与一が弓で的を射る場面。
どの場面も生き生きしています。
そして、この屏風の裏は
・逸見 一信(へんみ かずのぶ) 「龍虎図屏風」(178.3×360.8cm)
(右隻)
(左隻)
<<こっちも対決!ドラゴンvsタイガー>>
こちらは、水墨で迫力ある龍と虎。源平の対決に龍虎の対決。趣向も画技も見事です。
続いては、ちょっと変わった逸話の持ち主・・・
・狩野 寛信(ひろのぶ) 「桃花西王母図」(各99.5×39.5cm)
<<「腹切り融川」による血の通った西王母>>
「腹切り融川(ゆうせん)」とは、寛信が描いた屏風を素人の幕閣がケチをつけたところ帰りの籠で腹を切って(または服毒して)死んだという逸話によるもの。融川は寛信の別号で友川の後、融川を名乗ったとか。なお、切腹の逸話も事の真偽は不明。ただ、普通の死に方ではなかったとか。絵は、とても柔和で温かみがありますが・・・
この方、葛飾北斎が狩野派で学んだ時に出入りしていた方のよう。(違っていたらすみません)
最後は入口からみて左手前の新収蔵品の部屋に。
この方も狩野派
・河鍋 暁斎(かわなべ きょうさい) 「浮世絵大津之連中図屏風」(各135.3×124.6cm)
<<大津絵のスター揃い踏み>>
二曲一双の小さな屏風絵。大津絵は今の滋賀県大津で売られていた民族絵画で土産物とされていたとのこと。左の三味線を弾く鬼や動物たちは素朴な感じで素早く描かれ、右の若衆と美人は緻密に描かれています。絵の題材も去ることながら、この緩急をつけた表現が面白く、暁斎の力量を感じます。
さて、いよいよ最後にご紹介するのは・・・
・小林 永濯(えいたく) 「神話図」(106.0×35.0cm)
<<劇画のような神様たち!>>
明治に描かれた作品。小林永濯は狩野派で学び、その後、西洋絵画を研究し、挿絵などで活躍した画家とのこと。ここまでくると今のマンガなどの表現にも通じる新しさを感じます。画面下は男神・須佐之男命、中央の弓を持つのは女神・天照大御神と推測されるよう。
天照大御神、かなり男前です。(女神ですね。でも、凛々しい)
この他に、北斎の弟子・蹄斎北馬(ていさいほくば)が描いた「ぎゅうぎゅうな絵」という面白い絵や、弟子の狩野芳崖から「師は絵を知らない」と言われながらも、芳崖、橋本雅邦を世に送り出した師匠・狩野雅信(ただのぶ)の絵等もありました。
展示数は必ずしも多くないですが、時代を追った展示に解説も詳しく、作品の魅力も絵師の魅力も十分に味わえる展覧会でした。
そして、展覧会場を後にします。
(4) ミュージアムショップ
今回、ショップはありませんでした。前にボローニャの絵本展で来たときは絵ハガキや図録を売っている部屋がありましたが、COVID-19のためか、閉まっているようでした。展覧会場入り口で板橋区立美術館の所蔵品の図録が販売されていました。
3. さいごに
実家の前にある区の掲示板には、よく板橋区立美術館の展覧会の案内ポスターが掲示されていて、帰るたびに見ていたのですが、なかなか来ることができていませんでした。(今、住んでる小金井からはだいぶ離れていますし・・・)
今回、あらためて収蔵品を見て、素晴らしい作品が数多くあることが分かりました。これからはもっと見に来たいと思いました。
本展も会期は残り少ないですが、機会がありましたら、是非、見てみてください。
狩野派、あらためてすごい集団です。
それでは、関連リンクです。
最後の狩野派
板橋美術館といえば
今回のレポートは以上です。最後までお読みいただき、ありがとうございました。
また、次のレポートもよろしくお願いいたします。
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(惟信の花鳥図屏風から)