すきコレ

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【展覧会Log】5/31、6/6に行った展覧会:熊谷守一、ミロ(2025/6/11記述)

よろコンです。

 

ここ2回、5/23(金)-25(日)に関西で見て来た展覧会について、書いてきました。あと一回、書くつもりですが、今回は一回お休み。先週・先々週と東京で見た二つの展覧会について書きます。
今回も、あとから「あの時、こんな展覧会に行っていたんだなぁ」と自分が思い出すためのメモということで、よろしくお願いします。(写真は撮影OKだったものです)

 

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(いねむるモリ)

 

(1) めぐる いのち 熊谷守一美術館40周年展@豊島区立熊谷守一美術館(6/29(日)まで)

特別企画展 「めぐる いのち 熊谷守一美術館 40 周年展」 | 豊島区立熊谷守一美術館 | Kumagai Morikazu Museum of Art

 

・5/31(土) 15:45頃~約60分間 鑑賞

・熊谷守一翁は私の「推し」の一人で、大原美術館から来たポスターの絵を生で見たくてこちらに来ました。

・翁は1880(明治13)年、岐阜県恵那(えな)郡付知(つけち)村出身。地元の名士の家に生まれますが3歳の時、突然、父と第二夫人が暮らす岐阜市に引っ越します。この父・孫六郎は大胆かつ才気に富んだ人物で初代の岐阜市長にもなられた方です。そんな父を見て、逆に「何もしないでじっとしていることがいちばんだ」という考えになったとか。慶応義塾に一学期だけ通ったら好きなことをして良いという父との約束を果たし(?1)、実際に一学期だけ通って画家になったそうです。(一学期でも通えるだけすごいです)

・翁は5人の子どもに恵まれますが次男の陽(よう)さんと三女の茜(あかね)さんは幼いとき、長女の萬(まん)さんは21歳の若さで亡くなってしまいます。一方、長男の黄(おう)さん、次女の榧(かや・この美術館の創立者)さんは天寿を全うし、お孫さんも生まれます。

・「池袋モンパルナス」と呼ばれるこの地に1932年に移り住んでから、亡くなる1977年までの45年間、自宅兼アトリエがあった跡地に設立された美術館の40周年記念展は翁が描いた家族、その大切な"いのち"の足跡が伝わる展覧会です。

 

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こちらが美術館。小さな美術館ですが、とても素敵な空間です。

徹底した観察を経て、少ない線と平面的な色彩で対象の本質を描き出す翁の作品がとても魅力的です。f:id:YoroCon:20250609003131j:image

次女の榧さん作陶のカップやお皿で提供されるCafe Kayaも併設されています。

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こちらが大原美術館から初めてこの美術館に帰ってきた作品が写るポスター

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「陽の死んだ日」1928(昭和3)年

この時期、翁はほとんど絵が描けず、貧乏で医者にも見せることができなかったとか。そんな次男・陽さんの幼い死を前に衝動的に筆を執った作品。守一翁の言葉です。

「陽がこの世に残すものが何もないことを想って、陽の死に顔を描き始めましたが、描いているうちに"絵"を描いている自分に気がつき、いやになって止めました」(『青蠅』)

激しい悲しみに襲われながらも、どこかで画家としての自分が現れてしまう。陽さんの顔はどこか仏にも通じるような気がしました。


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右側のポスターの右上の顔は亡くなる直前の長女・萬さんを描いたもの。

そして同じポスターの左下は「ヤキバノカエリ」1956(昭和21)年

左は次女の榧さん、真ん中は骨壺を抱える黄さん、右の少し前を歩くのは守一翁

表情の細かい描写はありませんが、その単純な線と色で表されている体の向き、足取り、お互いの位置関係で、焼き場からの帰り道の家族の会話が聞こえ、そして悲しみを越えて前に進もうとする家族の想いが伝わる作品だと思いました。

 

展覧会はもちろん素晴らしかったのですが、ホームページの作品紹介なども充実していますので、よろしければご参照ください。(私の記述もこちらのホームページの資料などを参照しています)

 

40周年展目録_HP用.pdf - Google ドライブ

作品解説一覧(HP用).pdf - Google ドライブ

40周年展 作品の一部ご紹介 | 豊島区立熊谷守一美術館 | Kumagai Morikazu Museum of Art

守一の家族について個別の解説資料 | 豊島区立熊谷守一美術館 | Kumagai Morikazu Museum of Art

 

 

(2) ミロ展@東京都美術館(7/6(日)まで)

ミロ展 Joan Miró 2025 3.1-7.6 東京都美術館

https://www.tobikan.jp/exhibition/2024_miro.html

 

・6/6(金) 18:30頃(ナイトミュージアム)~約80分間 鑑賞

・ミロも好きなので、この展覧会は年初から見たいと思っていました。

・1893年、スペイン・カタルーニャ地方のバルセロナに生まれたミロ。同郷のピカソとも深くつながり、シュールレアリスムの画家たちとも交流します。その後、1936年に勃発したスペイン内戦はミロの芸術活動に暗い影を落とします。共和国派だったミロは勝利した反乱軍派から睨まれ国内での自由な活動ができなくなります。そんな状況下で作成された「星座」シリーズが高い評価を得ます。その後、アメリカで名声を得たのち、かねてより憧れていた日本にも来日します。晩年には数々の大画面の作品に挑み、最後まで新たな表現への挑戦を続けたミロ。ピカソが赤い炎だとしたらミロは青い炎だと評する方も。そんなミロの大回顧展です。

 


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こちらが星座シリーズの一枚
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「カタツムリの燐光の跡に導かれた夜の人物たち」1941年

 

本展は地下1階、1階、2階とあり、初期の作品~晩年の作品へとミロの画業をたどるように展示されていますが、2階は撮影可能でしたので、そこから何点かを。

まずはミロの作成したポスター
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「バルサ FCバルセロナ75周年」1974年

サッカー・バルサのポスターも作っていたんですねぇ


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「二つの惑星に追われる髪」1968年

 

飛沫が飛び散る作品。この頃はアクションペインティングのような作品も制作していたとか

 

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「太陽の前の人物」1968年

 

シンプルな造形のこの絵は日本の書にも通じるように感じます。また、禅僧・仙厓さんの「○△□」を描いた作品にも通じています。

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「花火I」「花火II」「花火III」1974年

 

3つの大きな作品は床に置いたキャンパスに絵具を広げ、それを立てて絵具を滴らせることで花火を表現した新たな挑戦。そこに加えられた赤、青、黄の絵具が、大胆さの中に繊細さを加えているかのよう

 

絵は詩であり、音楽でありたいと語っていたミロ。時代時代のミロの作品に包まれながら、そこに流れる「詩」を「音楽」をゆっくりと堪能してください。

 

ということで今回の展覧会Logは以上です。

 

ちなみに日曜日15:00頃、トーハクの蔦重展を見に行くと

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40分待ち・・・閉館までの時間も考えあえなく退散

今週末が会期末。果たして見ることができるのでしょうか・・・(リベンジします^^;)

 

ということで。ここまで、お読みいただき、ありがとうございました。

また次回もよろしくお願いします。

 

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(夜の上野の公園口。帰りの電車では蔦重展の図録を見る人、西洋美のチラシを見る人。金曜夜の展覧会はなんだかいつも以上に贅沢な気分になれます)