よろコンです。
本ブログでは見て来た展覧会の個人的な感想を書いています。
今回は、2024年3月19日(水)に見て来た展覧会
福田平八郎展@大阪中之島・中之島美術館
です。
「写生狂」
自らをそう称した画家・福田平八郎は生涯にわたり、写生に、日本画に生きた画家でした。「写生」にこだわり続けた作品は緻密さを極め、やがて大胆に対象の本質を捉える「写生に基づく装飾画」へと変転していきます。
没後50年。福田平八郎の生涯とその作品をたどり、「見ること」「描くこと」を見つめなおす。初めて訪れた大阪の美術館でそんな思いをめぐらす展覧会でした。
今回も最後までお読みいただけますと幸いです。
【目次】
※ 以下の記述は展覧会の解説、パンフ、図録、その他WEB上の資料等を参照の上、記述しております。また、撮影OKであった作品の写真を掲載しています。
1. 展覧会情報
(1) 開催概要
・会場:中之島美術館@大阪中之島
・期間:開催中(2024/3/9(土)) - 2024/5/6(日) ※ GW末まで
・時間:10:00~18:00(入館は閉館30分前まで)
※ ナイトミュージアム:なし
・休館日:月曜日(4/1、4/15、4/22、(これから)4/29、5/6は開館)
・チケット:一般 1800円、高校・大学生1000円、中学生以下 無料
・作品数:前後期合わせ約120点+素描(作品リスト参照)
・写真撮影:NGですが、一部の作品はOKでした(OKマークありの作品)
・関連リンク:
1) 展覧会
没後50年 福田平八郎 | 大阪中之島美術館
(展覧会チラシ)
https://nakka-art.jp/wp10/wp-content/uploads/2023/11/heihachiro-leaflet.pdf
(作品リスト)
https://nakka-art.jp/wp10/wp-content/uploads/2024/02/fukudaheihachiro_list.pdf
2) 美術館
(東京ステーションギャラリーと佐伯祐三、大阪の女性画家の展覧会でコラボしていた中之島美術館。一度は来てみたかった美術館です。ついにやってきました。
上野の森美術館で開催していたモネ展も開催中です。モネ展は上野で見ました。
こちらは東京で開催予定がないようなので、ここで見られて良かったです。
では、平八郎の竹を抜けて、いざ会場へ)
(2) 訪問日・混雑状況
訪問日:2024/3/19(火) 15:30頃
鑑賞時間:約90分くらい
混雑状況:盛況でしたが混雑まではしておらず、ゆっくり見られました。今は会期後半、日曜美術館でも特集が放映されていたので、GWはかなり混むと思われます。
(3) どんな展覧会?
福田平八郎(ふくだへいはちろう、1892年-1974年)、大分県大分市出身
大分では大分県立大分中学(現・大分上野丘高校)に進むも数学が苦手で留年。18歳のとき画家を目指して京都に出ます。京都では京都市美術工芸学校、京都市立絵画専門学校で絵を学び、一気に才能が開花。とても楽しい学生生活を送ったようです。ところが、卒業制作では挫折。当時、美術史を教えていた中井宗太郎に「君は自然を客観的に見つめていく方がよくはないか」と言われ、その言葉がその後の羅針盤となります。大正10年の帝展では鱗の一枚一枚までリアルに描き上げた「鯉」で特選を受賞。画壇の評価を決定づけます。この頃、結婚もしたので「鯉を描いて恋を得た」とうわさされたのは有名な話とか。
やがて、仕事の忙しさ、極限まで描く写実の限界から、絵が描けなくなり神経衰弱に。そんな中でも自分を変えよう、新しい日本画を生み出そうという気持ちは失いませんでした。この頃、さきほどの恩師・中井宗太郎のススメで釣りを始めます。
ある釣れない日、そよ風が揺らす水面の波がキラキラ光るのを見て平八郎はとっさに写生帖を手に取ります。この光景を描き誕生したのが重要文化財「漣」(さざなみ・中之島美術館蔵)です。
その後も、写生を続け、天気図さえも写生。抽象画?とも思える作品もありますが、すべては「写生」の眼差しから生まれた作品です。
晩年「このごろでは装飾的になっても写実になってもかまわんと思っている」「問題は内容だ。ただ単に装飾に流れるきらいもあることに気がついているので今後はもっと内部に食いこんでいきたい」という平八郎は、最後の最後まで写生に生きた画家でした。
そんな福田平八郎の作品と画家の人生を辿ります。
2. 会場へ
(1) 構成
第1章 手探りの時代
第2章 写実の探求
第3章 鮮やかな転換
第4章 新たな造形表現への挑戦
第5章 自由で豊かな美の世界へ
(2) 気になる作品
ここでは、写真撮影可能であった作品のみご紹介していきます。作品はすべて福田平八郎作です。なお、展示順は本ブログの写真の順番とは異なるところもありますので、ご了承ください。
まずは「写実」を追い求め、極めた頃の作品
「安石榴」(ざくろ) 大正9年(1920)
帝展2回目の入選作。うごめく枝葉に赤い実がはじけるザクロ。生命感あふれる作品
この翌年、先述の「鯉」で帝展の特選を取り、奥様とも結婚しました。(撮影はNGでした。ぜひ、探して見てみてください)
「朝顔」大正15年(1926)
一つ一つの花から葉から蔓から写実に徹した作品
この頃は、周囲から「細かすぎる」「一本調子に過ぎる」と言われながらも、細部を積み上げることで自然を描き切れると信じ、制作を続けます。そしてその思いは「人間の力では到底、自然など見極めきれない」という思いにぶち当たります。
悩み続ける日々、ある釣れない日に、そよ風からの贈られたがこの光景・・・
「漣」(さざなみ)昭和7年(1932年)
福田平八郎の新境地。日本画の問題作にして革新を起こした作品。水面を渡る永遠の漣
見続け、その本質を描こうとすると、抽象に見える世界へと入っていくのでしょう。
90年以上の時を経て、今でもこの作品の輝きは衰えません。
そして、ここからさらに革新的な作品も
福田平八郎「水」昭和32年(1958)
「描くのに水ほど興味があり、また水ほど困難なものはない。それは単純に見えて複雑であり、同一であって無限の変化がある」
平八郎が生涯にわたり描き続けたモチーフ
「新雪」昭和23年(1948)
「氷」昭和30年(1955)
庭の手水鉢に張った氷の縞模様に興味を惹かれ描いた作品
「海魚」昭和38年(1963)
「游鮎」(ゆうねん) 昭和40年(1965年)
マッチ棒を5、6本握り、はらりと投げて構図を研究したとか。とってもポップです。
次はスケッチ的作品
「カーネーション、百合」昭和17年(1942)
「うす氷」昭和24年(1949)
富山のお菓子「うす氷」
何でもスケッチをしたようです。
「桃」昭和31年(1956)
輝くようなお盆の面に桃が写り込む姿まで表現され写実的。それが装飾的な金地に置かれているところが興味深いです。
最後の作品は
「雲」昭和25年(1950)
近年修復を終え、所蔵する大分県立美術館以外では初公開の作品。空の青は日本画ではあまり使われないプルシアンブルーなどの化学合成顔料が使用されているようです。新たな表現を求めた平八郎の姿がうかがえる作品
このほか、入口で描かれていた「竹」等、平八郎の新しくも真摯に対象を見る姿勢が感じられる見逃せない作品ばかりですが、今回はこの辺で。
実際の作品は是非、展覧会でご覧いただければと思います。
ということで、展覧会場を後にしました。
ミュージアムショップでは絵はがきや図録なども売っています。今回も図録を買いました。
3. さいごに
晩年は小学一年生くらいまでの子どもの絵を写生していたという平八郎。子どもの自由な絵には、おもしろい形や色があるとのこと。
福田平八郎の絵はとてもカラフルで、温かみがあって、斬新だけど、親しみもある。
対象を見続け、忠実に描こうと苦悩した日々もあったでしょうが、それを乗り越えた先に、真摯に純粋な気持ちで描かれた作品があり、その絵が私たちを惹きつけるのでしょう。また、いつか見たいなぁと思います。
本展の巡回情報は次の通りです。
【巡回情報】
・大分県立美術館 2024/5/18~7/15
関連リンクです。
2024年の展覧会情報はこちら
ということで、今回は以上です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
また、次もよろしくお願いいたします。
※ ご意見、ご感想、大歓迎です。是非コメントかメール(yorocon46@gmail.com)まで。ツィッターは@yorocon46です。
(ここからは、美術館の風景
モネ展、一枚一枚がモネの作品でモザイクになっていました。
中之島美術館のネコ
街の日が滲むのには少し早いか・・・以上です)